英語は教科のひとつでしかなかった時代に育ってきた親世代。若いお父さん・お母さんなら、もう今(英会話が必要だと言われてきた頃)のやり方にも馴染んできておられる方もいるでしょうけど、それでも日本の中学や高校ではまだまだ「教科」であり「机に向かってする勉強」の色が濃いと思います。
でも本来、英語は勉強というよりは「体育」に近く、スポーツと同じだと私はいつも言います。理屈うんぬんよりも、練習し、体得するものなのです。
例を挙げてみましょう。
野球をしたいとしましょう。打ったら一塁めがけて走る、というルールは当然知っておかねばなりませんから、お勉強は必要です。だけど、机に向かってルールを勉強しているだけでは、打てるようにはなりませんよね。打てるようになるには、打つ練習が必要です。野球選手の動画を見ているだけでも、打てるようにはなりません。絶対に、本番が必要です。さらには、一度のホームランは、まぐれかもしれません。いつでも実力を発揮するには、それなりの練習が必要になります。
英語も、全く同じです。練習なしに、本番なしには上達しません。
また、私たちが日本語を話せるようになった経緯を考えてみてください。赤ちゃんの頃から日本語に触れ、たどたどしくても、間違っていても話し、コミュニケーションを取りながら習得してきたはずです。そこに読み書きを習い、読書をし、さらに語彙や表現力を着ける。そんなやり方をし、今大人になって何の不自由もなく日本語を操っているはずです。
英語に限らず、どこの国であっても母国語はそうやって習得すると思いますから、その習得の流れが自然で、且つ使えるような実力がつくと言えるでしょう。
「日本語」は生まれてから自然に学ぶこと。「国語」は読み書きや表現力などを身につけること。だから、英語もその「日本語」にあたる自然に学ぶことを沢山する必要があるのです。
なのに日本ではなぜガリガリ勉強ばかりしているのでしょうね。もう義務教育まるごとを変えないといけない。国は動いているものの、残念ですが本当に変わるのはまだ先でしょう。
最近の中学校では「英語コミュニケーション」などという教科がありますが、そこでやっている内容もまだ「会話の穴埋め問題」だったりします。文法学習と何が違うのか?謎です。コミュニケーションを学ぶのなら、コミュニケーションをすべきだと思うんですけどね。
子どもに英語を話せるようになって欲しいなら、話す練習を沢山する機会を与えることが大切です。